第1章(4/12) 神経性過食症「人にどう思われるか、をいつも気にしている」19歳の過食症、N子さんと出会ったときの大林正博先生は、 「当時(1980年後半)の(大学病院の)心療内科の教授は拒食症や過食症などの摂食障害の権威として知られていたこともあり、私もぜひ摂食障害を学びたいと思っていた」時期でした。 医者は患者から学ぶといいますが、なるほど言葉通りなのですね。
中学までは友達も多く、成績も優秀でなんの問題もない生活を送っていたのに、「高校では文芸部に入ったため、運動不足で太るのが心配になった」ので、50キロの体重を45キロにしようとダイエットをはじめてから、体重減少が止まらなくなったとのこと。 そのころ父親が心筋梗塞になり、急死。葬儀の一ヶ月後、階段を上ることもたいへんになった彼女をみて、母親が異常に気づいたのです。体重は28キロまで落ちていました。大学病院の精神科で高カロリー輸液(点滴による栄養補給)が主で、入院50日後に体重40キロになったところで退院。 しかし今度は過食がはじまります。体重は3ヶ月後に70キロ近くに。このため大量の下剤をのむようになり、疲労感のために高校も休みがちになっていきます。 治療はカウンセリング中心に進められていきました。 この後いろいろと紆余曲折があったようですが、やがてN子さんの過食の原因は、性格的なものと深い関係があったことがハッキリします。 N子さんは「いいこちゃん反応」(過剰適応)をする人でした。他人の意向に合わせて自分の対応を決め、自分の正直な気持ちや意見をのみこんでしまうタイプだったのです。そのストレスで過食に走っていたのです。それは、他の多くの心の病気と同じく、親との関係に端を発していたようです。 母親はN子さんと言い合いになると、「そんなくだらない話、という顔をして『じゃあそうしたら』というそうです。 「そういわれると、私、なにか切られたような気がしてしまって、それでつい母の顔色ばかりうかがって、あまり自分の意見をいえなくなったのだと思う」 母親に話の途中で一方的に打ち切られてしまうと、そのたかぶった?感情をどうにかして自分で処理するしかなかった、というわけです。 美人で愛想もよく、異性にもてていたN子さんは、今までは自分の気持ちよりも相手に合わせてばかりいたのですが、カウンセリングを受けながら、これではよくないと気がついた。 N子さんは母親とは違う生きかたを選択したかったのです。母親の口癖は「自分さえ犠牲になれば」でした。それはN子さんの口癖にもなっていました。 娘は母親を自分の将来の姿と重ねたり、ロールモデル(社会的役割や、なるべき姿の見本)として、自分のなかに取り込んでいくものです。「私はもっと対等な関係を作りたい。飲み込むだけじゃあなくて、自分のいいたいことをいう関係」 この後に出会った人とは、自分の気持ちを自分に確認しながら交際を進めていくことができました。彼のアパートで過ごすことが多くなって、そこにいると安心してぼんやりしていられることに気がつくのでした。彼との結婚式を迎えるまえに、彼女から「ひとつのくぎり」として通院をやめたいという話があり、先生も賛成して、面談は終わったのでした。 先生はこう結んでいます。「過食症が治っていく人を見ると、生きがいが感じられる生き方や信頼できる人間関係、安心できる居場所などを持てるようになった人が多い」「どうすれば、そうしたものが持てるようになるかという課題に取り組むことが、ひいては過食症の治療にもつながると今でも私は考えている。」 こうしてみると、拒食症も過食症も、摂食障害は、女性としての生きかたや、父親や母親への愛情欲求や、こころの飢餓感と、深く関連しているように思います。 摂食障害の原因を、マスメディアや現代の風潮のせいと考える方もいらっしゃいますが、私は、ただテレビや雑誌などで痩せたモデルがもてはやされるから、自分も憧れてダイエットをはじめて癖になって止まらなくなる、そんな単純な理由ではないと思います。 太っていても、自分を受け入れられるセルフ・エスティーム(自己肯定感)のある人がいるのです。育っている家庭で、自分が受け入れられている、認められているという感覚があれば、摂食障害にはならないのです。 なんの問題もない生活だと自分で思っていても、体は正直です。 心は、無理をさせても自分でごまかすことができます。でも、体はうそをつくことができない。無理させすぎると悲鳴をあげるわけです。 摂食障害になるというのは、嘘にまどわされない身体が、生きかたに何らかの重大な問題があることを訴えているのです。
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