不安神経症は治るのですか?

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神経症とは

神経症は別名をノイローゼといいます。
ノイローゼということで、精神科の病気だという意味をやわらげているのですね。

精神科の病気が異物として排斥され、座敷牢まで黙認されていた時代、
お医者さんが神経症と診断してしまうと、社会からはじき出されかねなかったので、
一時的な気の迷い?、神経のせい、ノイローゼだということにしたようです。

(日本人はタブーを表現するときは、
 たいていこんなふうに、英語にする傾向があります)

私も神経症克服体験者です

私自身、かなり重い不安神経症・強迫神経症・
対人恐怖症・視線恐怖症だったので、
その言葉にできないくらいの神経症の苦しさは理解できます。

神経症とはどんなものでしょうか?

ここでは、神経症の厳密な定義や、
不安神経症・強迫神経症の精神病理などについては、
精神科の専門家や、精神科医によって書かれた本や、
あまたとあるサイトや本におまかせしたいと思いますが、
とりあえずは私の意見を書いてみたいと思います。

神経症という言葉じたいが、何年も前に、
専門家は使うのをやめましょうということでしたが、
医療の現場では、まだまだ神経症という言葉は現役のようです。
また、私の症状は、やはり神経症と呼ぶのがいちばん、合っていると思います。

私が罹患(いやな言葉ですね(^^)!)し、解消し、克服し、完治し、
乗りこえた神経症は、以下です。

私がかかった神経症(不安障害・ノイローゼ)の症状

理由なく漠然と不安でたまらなくなる不安神経症、
そこから引き起こされる不安発作(パニック障害)、
ひっきりなしにやってきて、頭から振り払っても払ってもわいてくる強迫観念と、
ちゃんとできたはずなのに何度も確認しても確認しても不安になる不完全恐怖、
それを押えようとして強迫行為がとまらなくなる強迫神経症、
しつこい被害妄想、自分を罰しようとする自責の念、自己嫌悪、
対人恐怖症、不完全恐怖症、視線恐怖症、
あと、離人症もありました。
視界に、ビニールとか霧がかかったような、半透明の膜が見えたり。
ものすごい恐怖だったのが、現実にないものが見える幻覚。

自分の頭は突然狂いはじめて精神が荒廃していくのか?と怖くてたまらなかった。

人ごとだとなんだか面白い小説のように聞こえるかもしれませんが、
そうなった本人にしてみれば、地獄の苦しみに等しいのです。

自分が神経症という病気になっていると知って希望が見えた

神経症その他の症状を全部完治させて久しい今だから、
こうして言えることがたくさんあります。

でも当時はもう、自分は社会的生命は絶たれた、すっかり終わったと本気で思いました。

不安・強迫神経症という病気がここまでひどい症状を呈するなんて、
神経症者がどんなに生きることがつらいか、多作な早稲田大学教授の加藤諦三先生も
書いていらっしゃいませんでしたし……。

幻覚と被害妄想と強迫観念と激しい不安発作があるので、
「これはきっと自分の頭が狂って気が変になってきたに違いない、
 私は、ロックバンド、イエスのロンリー・ハートの、あの、
狂気と苦しみに満ちた表現のプロモーション・ビデオのように、

ワーナーミュージックにてロンリーハート試聴

 ある日突然『お前は狂っている!』と決めつけられ、
 『自分は狂ってなんかいない!』と主張すればするほど、
 症状が悪化して精神病患者になって連行されていく……!(に違いない!)」

自分がどんな状態で、これからどうなるのか、
最悪のことしか考えられなかった……。

しかも、日に日に悪化していく症状……。もう絶望寸前でした。

※ 私が病んでいた1988年当時は、心の不調を人に言えない事情がありました。
一般的にも専門家も、精神障害についてほとんど理解がありませんでした。
こころの不調は落伍者の烙印を押されるようなものでした。 

『精神がまともで正常でないなら、それは精神異常! 狂人! 気違い!
精神病院の閉鎖病棟で一生隔離されて終わる』
という図式がありました。

今なら、会社に普通に勤めながら、または、
パソコンを使って自宅でできる仕事などをしながら、
精神科や心療内科や神経科や、カウンセリングや、
精神療法(心理療法)などのセラピーに通うことも可能です。

また、精神科医の話では、昔よりも症状が軽い人が増えたということで、
正常と異常の境があいまいになっていますが、昔は一線を画していたのです。

その「正常と異常を区別する線」は、いったん超えたが最後、
こちらには絶対に戻ってこれないと考えられていました。

それだけ、精神障害に対する社会の偏見と差別の圧力は強烈なものでした。

急性期というか、症状が激しいときには、
まるで自分が誰かのあやつり人形にでもなったかのように、
自分のものではない意志によって、勝手に「お前はああしろこうしろ」と、
嘲笑されながら指示される感覚までありました。

もちろん、そのような狂気が異常であることをきちんと認識していましたから、
必死に自分のなかにだけ収め、見た目は普通の会社員として毎日を送っていました。

不安神経症の原因は何か?

このようになった原因は、長い年月にわたって、心にかかっていた圧力でした。
当時の私は、それを自覚していませんでした。
自分にどれだけの負荷がかかっていたのかを自覚できないままでいたので、
そのために神経症になった、とも言えます。

ちなみに、私が、とある心療内科に行ったときの診断は「うつ状態」でした。
「そんなんじゃない!私の心の症状はもっと重いはずだ!」と素人ながら思いました。
でも、こんな重い状態だと知られたら、
即、精神病院の閉鎖病棟に強制的に送られる!という不安があって、
まさか狂気をありのまま、初対面の医師に言えなかったのです。
社会とつながっていたかった。

※お医者様は、患者さんの心のなかまでわかりません。
患者さんが言うことや態度によって判断するわけですから、患者さんが、医師にたいして
隠している内面のことまではわかりません。

精神病患者扱いされたくなくて、自分の深刻な症状を、わざと低めに、軽く言うことや、
一番の深刻な悩みまでは言わないことは、
おおいにありうることです。
私も、初診のときに口にできたのは、本当の悩みの10分の1程度、ほんのわずか、でした。
もっと話す必要がありました。

でも、ほとんどの精神科や心療内科の医師は、じっくり話を聞いてはくれません。
その原因は、現行の健康保険制度では、医師が患者の話をゆっくり聞いても、
それなりの報酬がないためでもありますし、また、患者が多ければ、
一人当たりの時間も短くなってしまうのはやむを得ない部分もあります。

こういう理由で、初診ではせいぜい10分〜30分程度で患者の話を遮り打ち切り(?!)、
向精神薬を出して様子を見る。
再来時には、薬の効き具合を確認する数分ぐらいの問診で処方していく。
このような精神医療の形が多いのではないでしょうか?

むろん、これだけでも救われる患者さんも少なからずいるでしょう。
でも、私がなっていた神経症のようなケースでは、
一番肝心なことに触れないままで「治療」が進められていくとすれば、
これだけで治ることはとうてい無理です。

どうやったら神経症を治せるのか

当時は、今とちがって、インターネットのない時代でした。

精神の病気について検索できるエンジンもない、とうぜん掲示板もない、
自助グループもない、匿名で電話相談できるところもなければ、
神経症についての一般向けの本すらない。
うつ病の本でさえ、一般向けでありませんでした。

精神病についての本でも、当時はそのほとんどが、
精神科の先生が同じく精神科の専門家に向けて書いたものでした。

現在本屋さんの店頭に並んでいるような、
「きっとよくなりますよ、あきらめないで」と温かく勇気づけ
励ましてくれる内容ではなく、精神病患者は、まるで、
研究者が実験材料として、好きに扱えるモルモット扱いでした。

いわく「精神の異常な者は、どんなところがどんなふうに異常なのか」
「こういう脳の外科手術をやったらこうなった」
「こういう薬を投与したらこうなった」と、
軽蔑と野次馬のような好奇心を感じさせる文章もありました。

そういう視点が批難されることもないくらい、
精神科の患者は社会的な地位が低かった。
気違いの言うことなど、まともに相手していられるか?と、軽蔑されて、
人間扱いされていなかったということです。

研究者の傲慢さ

人や動植物などを使った研究というのは、残酷な一面をもっています。
研究者の側の知的好奇心や欲求などにもとづくものですよね。
「対象物」として観察・実験・研究される側の苦しみや痛みはどうだってよいわけです。

ユング関係の書籍を読んでいて、ある有名な学者が、
精神病院に入院している大勢の患者を前に、
「こんなにたくさんの実験材料がある!」と驚喜したという話があります。

精神病院にいる患者は、好きなだけ実験材料として使っていいんだというわけです。
ひどくバカにしていますよね?!
患者をひとりの全人格的な人間として見る尊厳などみじんも感じられません。(-_-メ)

・・・そんなわけで、昭和の終わりには、
今のように治った人の話がインター・ネットでみられる時代ではなく、
どうやったら治るのかがわからないのはもちろんのこと、
治らないまでもこれ以上は悪化しないのか?
それとも、このまま悪化して、狂い死にするだけなのか?!
肉体の死よりも、脳の壊死?
その想像は、考えるだけでもなんと絶望的なことだったか・・・!

こうして、不安をかかえて、恐ろしさがつのるばかりでした。

不安神経症は、片時も休みのない戦場である

毎日毎日、瞬間瞬間、自分のなかの狂気という怪物に対抗しながら、
その日一日を平凡に生きること、
たったそれだけで、ものすごく大変で困難を感じていました。

神経症になった人は、自分がそうでない人にくらべて、
どこか妙だ、変だ、と自覚しているから、
なんとか必死になって『普通』のふりをしているのです。

『普通』でなくなったらここからつまみ出されて、
もう戻ってこれないという、ものすごいプレッシャー。
内圧が臨界点以上に高まるのを、
なんとか押えて『普通』にふるまおうとしているから、
神経症者の日常生活は、生きている限り、自分のなかの敵と闘い続ける、
終わりの見えない戦争と化してしまうのです。

神経症者は、一瞬、一瞬、なんとか『普通』でいようと、努力する。
寝ても醒めても、です。どれだけのエネルギーがそこに費やされるか!

ありのままの自分、自然な状態の自分が狂っているのだから、
無理に自分を押えつける。
次々浮かんでくる強迫観念や、感じている恐怖や不安を感じまい、と抹殺し続ける。

しかし・・・、
つねにストレスにさらされている神経症の人に向かって、
精神科医や心療内科医のなかに、
「気のせいだよ」「気にしすぎだよ」「神経質すぎる」等という先生がいるのには、
驚きです。

精神科医に物申す!

精神科医や心療内科医は、医学博士ですよね?
心の専門家であり、科学者ですよね?
患者よりも学歴があって優れて優秀なエリートで、
しかも心の病気を治すことを生業となさっているわけですよね?

よっぽど珍しい病気なら知らないのもしかたありません。
が、
資格をもった先生が、昔から比較的ありふれたこの病気、
神経症の病理について、正しい理解をもって説明をしてくれないのなら、
いったい誰がその役目をしてくれるのでしょうか?

・・・話が脱線しましたが・・・(^^ゞ

ここまでの説明で、神経症はどんなものか、精神医学的な分類や呼称は別にして、
神経症を患っている人の内面の心情は、理解いただけたでしょうか。(^^) 

神経症は本当に治るのか?

このページのテーマ、神経症は治るのか、ということですが、
そのまえにまず、
自分が神経症という病気だとわかったきっかけをお話しします。
それは『血と言葉』という本によって、でした。

血と言葉―被精神分析者の手記(最初に出版されたほう)
↑私はこちらで読みました。モディリアーニの肖像画のようなカバーデザイン。著者の写真あり。
血と言葉―被精神分析者の手記(改訂版)
改訂版はわりとあっさりしたただの包装紙のような(^^;)?!デザインです。

『血と言葉』には、私とよく似た症状におののき苦しむ、
一人の女性の姿が包み隠さず書いてありました。

ヒロインは、精神病院を抜け出し、
精神分析を受けて神経症を完治させたのです!

自分が神経症という病気だったこと、
神経症には精神分析というものが効くことを知り、
驚きとともに、希望を持てました。

私がこの『血と言葉』の文章と出会ったときの驚きと、希望は、
ことは今でもはっきりと思い出すことができます。

私はこの本に出会えたこと、この本が書店に並ぶまで、たずさわったすべての人、
著者、翻訳者、編集者、発行人、出版社、本屋さんの人だけでなく、
印刷会社やカバーデザイナー、その他私が知らないところで関わっている
すべての方々と、すべての工程や作業や仕事に深く感謝しました。

神経症は、この本と出会ってから必死に努力した結果、
数ヶ月後に、劇的に消えてなくなりました。

事実は小説よりも奇なり。

明るくて大雑把で少々のことにはめげなかった自分が神経症になり、
専門家でも医者でも治せない神経症を、自力のみで努力して、二ヶ月で全面解決した。
自分で神経症を治したのです。
まさに、事実は小説よりも奇なり。これを地で行った感じです。(^^)

神経症はほんとうに治る!

神経症は治ると思いますか?と聞かれたら、私は胸をはってこう答えます。

はい、神経症は治ります。
ええ、神経症は完治しますとも!
神経症が完治するということは、再発しない!ということです。

私がやったようなことを適切に続ければ、
苦しんでいた症状は、朝日に照らされた夜露のように消えます。なくなります。

神経症が治る、当然症状も消える、
しかも、医者や向精神薬に頼らず、カウンセラーにも通わず、
基本的に自分で治せる。それだけでなく、
神経症になるまえよりも、もっとはるかに快適に健康になります。

神経症は生き方を変えるためのチャンスとも言えます。
このページを創った私が生き証人です。

あなたにはまだわからないかもしれません。
精神分析の理論でいえば、神経症はひとつの防衛反応に過ぎません。
神経症は生き方そのものの問題なのです。

あなたが神経症になっているのは、『正しい反応』である可能性が高いのです。
精神科医の斎藤学先生も、「神経症になっているのは、神経が正常な証拠である」
断言なさっています。

神経症を治す方法はあります。

私が自分の体験をもとに構成し、絶賛好評をいただいている
神経症を完治する精神療法(心理療法)セミナー『プライベート・アイズ』も、
そのなかの有効・強力な手段のひとつです。

心の問題はこうすれば簡単に単純に解決する

心は、魂や精神や身体と、相互に精妙・絶妙・複雑に関わり、つながっている、
ひとつの一本の樹木のようなものだと思います。

樹木が弱れば病害虫にかかりやすくもなります。いろんな症状も出ます。

そんなときに、対症療法的に場当たり的なことをやっても効果は薄いです。

根本から・つまり、根っこから全体をみてあげる。
たとえば、土壌を全部入れ替えて、柔らかくふかふかな適度な栄養があるものに変える。
そして、他にも必要な処置を施して、樹木がもつ本来の生命力が蘇るようにしたあとは、
見守りながら待つ。

このような抜本的なやり方のほうが、遠回りのように見えて最善なのです。

心も同じです。
いちばん奥、基礎のところに焦点をあてて手当てしてあげれば、末梢は自然とよくなり、
全体が変わってくるのです。

心の病気とは誰でもかかる可能性があるもの

心の病気になるのは、特別な、特殊な人だけがなるのではありません。

私は、自分が創った心の健康のためのプログラム、
『プライベート・アイズ』セミナーを通して、
多数の方が、私の言葉に感激・感動して下さって、癒されたと感謝してくださり、
短期間のうちに、明るく元気な心を取り戻され、人生をご自分の手中に収め、
パワフルに生きはじめる場面に立ち会う幸福に恵まれています。

心の原則は皆同じなのです。

自信をもって断言できることは、心の病気になる人は、
心がそれまでのことで極度に疲れて、悩んでいるだけだ、ということです。

人生で一時的に足止めされているだけです。
でもそれはきっと、自分を見つめなおす機会が与えられたということであり、
人生をよりよく生きるために必要な、休息の時間でもあるのです。

不安神経症になったということは、ご自分を総点検なさる必要があるのかもしれないのです。
神経症になるということは、総じて、生き方として、どこか無理している。

たとえば、ご自分を無理に押さえつけていたり、何かが不自然な状態のまま固定しているとします。
神経症や心身症や自律神経失調症などは、何かが違うよ、ということを、
あなた自身に知らせるためのウソをつけない身体からのシグナル(信号・合図・警告)である、
と言い換えることもできるのです。

――こころはウソをつくことができるのですが、
身体は正直で、自然そのものにつながっているのです。――

神経症は、その昔、名前がつけられたときに当て推量で?!想像されたように、
どこか神経がちょっとばかしおかしくなったのだろう、
というような、浅い次元の、「気のせい」「神経のせい」ではないのです。
潜在意識があなたに要求している、人生全体を見直す瀬戸際・・・逆に言えば、
自己改革をするためのまたとないチャンスでもあるのです。

『プライベート・アイズ』セミナーを受講されて、
それまで思ってもみなかったご自分を発見して、長年の悩みから解放されて
心身ともに軽くなった毎日を楽しんでいる方々のように、あなたも、
新しい、ご自分のための幸せな人生を創造なさって、
ラクな形で生きる「決心」をなさるのも、ご自分への素晴しい贈り物になると存じます。
 

以上、平井 瑛子( ひらいようこ )が体験から語る、不安神経症は治るのか?!でした。(^^)
 

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