精神分析体験記No.3&性的トラウマ(第96号 2007・5・30)

こんばんは。平井です。(^^) 

ごぶさたしてしまいましたが、
さっそく、前回95号の続き、私が受けた精神分析の体験記の後編です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

精神分析の治療部屋

呼ばれて入った部屋はかなり広く、そして、
予想していたよりもずっと事務的で殺風景でした。

フロイトの治療室のような豪華さも、個人経営のカウンセリング・
ルームのような「なごみ・癒し」の雰囲気もなく、
必要な物だけがあたりまえにある簡素な空間。

がらーんとした空間の奥に、大きな机があり、
先生(中年男性)が、椅子に腰を下ろしていました。

こちらの顔をチラと一瞥したこの精神分析家の先生は、
にこりともせず、警戒や冷淡に近い固い表情と、
医師としての威厳を崩さずにいました。

先生からは、挨拶も自己紹介もありませんでした。

勧められて(というよりはそっけなく指示されて)、
先生の机から数メートルほども(!)離してぽつんと置いてある、
丸椅子にすわると、即座に事務的な質問がはじまりました。

年齢や職業、なぜここに来たのか、というようなことでした。
 

心理療法(サイコセラピー)家への期待と現実の落差

  
今回の東京への旅の半分は、この先生との精神分析のための面接が目的。
胸を躍らせて、正直にありのままを話しました。

神経症だったこと、独学の精神分析で治したこと、
精神分析は自己洞察や、人間としての成長をも促進すると聞いたけれど、
今の私の仕事の質の向上にも役立つかもしれないから、
もっと知りたいと思っていること。(*^▽^*)

でも・・・
(おまえはいったい何者なんだ? 目的はどこにあるんだ?)と
真偽を問いただされるような質問に答えていくうち、
遠路はるばるやってきたワクワク感は、
プッ、 シュゥぅーン (.. )、とみるみるしぼんでいくのでした。

先生は、私が問診表に書いたことも そのまま質問してきましたし、
―― ぜんぜん目を通していなかったわけですか?!――
ご自分はその社会的地位にふさわしい立派で大きな机に向かい、
ひじ掛けがついた深々とした革張りの大きな椅子に腰掛け、
私がたとえば豹変して飛び掛かっていっても?身を護れるように?
壁をすぐ後ろにして半身に構えて用心深そうに眺めている。

こんなに先生との距離がある診察(面接)も初めてでした。

私の座っている患者用の椅子は、座面と4本の脚だけの簡素なもので、
その椅子があるのは、がら〜んとした殺風景な部屋のほぼ中央。

どちらかといえばドアまでが一番近く、椅子との距離は数メートルほど。
――「何かあったらすぐにそこから出て行ってもらおう」という魂胆かしら?――

疑心暗鬼になっている私は、壁からも、自由連想用のソファーからも、
もちろん話し相手の先生からも遠く離されて、
爪先から頭のてっぺんまで、全身を先生にさらしたまま。

  自分はこの医師(心理療法家・精神分析家)にとって、
  招かざる客だったのか。

呼ばれていない場違いな舞台に飛び出してしまったような、
しかもそこで自由に自分を表現してみろとも言われているような、
私にとってはなんとも居心地の悪い、気まずい空気でした。

質問に答えても答えても、
先生はニコリともせず、相槌も一度も打ってくださいません。

――カウンセリングじゃないからしょうがないのか?――

固い表情も姿勢も崩そうとしない先生は、
あくまでも、患者にたいして優位さを保った冷静な態度。

質問に答えるたび、答えた内容について、
「どうして〜が〜なんですか?」とさらに突っ込んで答えを求められる繰り返し。

これでは、『It(それ)と呼ばれた子』の
精神分析の先生とデイビッドのやりとりと通じるところが・・・。
(´・ω・`)

※小誌79号『悪い精神分析家』参照 → http://hiraiyoko.com/79.html

だんだん、目の前の精神分析家の先生にたいして、
こころを開いている自分がひどく馬鹿な人間に思えてきましたし、
尊敬や憧れや親しみの気持ちを表現していることも、
それがなんなんだと却下されているように感じられてくるのでした。

まるで、精神分析家に対する尊敬や親しみ、そういう肯定的な気持ちさえ、
完全に突き放されて拒絶されたような感じまでしてきて・・・。

さっき、診察室から泣きながら出てきた若い女性の姿が脳裏をよぎりました。

   患者の感情を拒絶・否定するのが精神分析家なのかな?
    だったら精神分析にはあまり期待が持てなそうだと思いました。

しかし、先生のほうは、私への警戒を解かれたようで、
態度がいくぶん柔らかくなっていました。
「まあこいつも引き受けても問題なさそうだ」と判断されのでしょう。

私の内面の落胆と戸惑いにはいっさいおかまいなしに、
精神分析治療の条件を説明しはじめました。

精神分析は
○最低でも3年間受け続けること
○毎週曜日を決めて毎週4回ずつ受けること
○1回ごとに1万円。そのつど払うこと。週に1回だけの場合は1万5千円。

1回ごとの正確な時間は忘れてしまいましたが、たしか40分か50分ぐらいだったかと。

私が知りたかったのは、 精神分析を受けたら、どんなメリットがあるのか、
福島章先生が著書のなかでおっしゃったように、人間として成長するとは、
私の場合どういうことになりそうなのか、

そのあたりも質問してみたのですが、
先生はそれにはなんらの答も可能性も提示してはくださいませんでした。

私としては、診察室に入る前は、風船のようにま〜るく膨らんでいた感情や期待が、
クルマに轢かれたカエルのようにペッシャンコになっているうえに、
どんな効果があるかさえ、いえ、可能性についてさえ、説明なし・・・(^^;

――このときの私は、精神分析がどんなものなのかを知りたかったのですが、
先生はあくまで一患者として位置づけたかったようです。
「こっちは医者、そっちは患者」と、明確な境界線を引いて、
患者は患者の範囲から出てくるな、と、区別・規制された感じでした。――

 

精神分析治療のウエイティング・リスト

「・・・で、どうしますか? 
ウエイティングリストに入りますか?」

(※1) ウエイティング・リスト = 治療を希望する患者の順番待ちの一覧表

精神分析治療の説明をこれもまた淡々と事務的に終えた先生は、
もうこれ以上私の話につきあうのはけっこう、と言わんばかりに、
結論を急かすのでした。( 面接して15分たっていなかったと思います。)

第一、ウエイティング・リストなんて単語をいきなり会話に混ぜられても、
普通は意味、わかんないじゃないですか。ね。
これが日本のインテリ層の悪い癖。(笑)

患者の時間枠がいっぱいなので、すぐに治療を始められないと言われてはいたけど、
エリートは、凡人との格の違いをつねに確認したいんですかね。(;^_^A

「でも、私は仙台なので、週に4回はちょっと難しいですよね?」
とやんわりと断るつもりで返事をした私でした。

遠いことを理由に断ろうと思った私に、先生はさもないことのように
おっしゃいました。

「仙台ならそんなに遠くないでしょ。九州から通っていた人だっていますよ」
「えー? 九州からですか? どうやって?」
「飛行機で飛んで来て、その日(精神分析を)受けて、その日泊まって、
 次の日また(精神分析を)受けてから飛行機で帰る。
 これを週に2回やれば、週4回になるから(なんてことないでしょ)」
思わず、 「先生ずいぶん簡単におっしゃいますよねー。
 それでその人は、良くなったのですか? 何が目的だったのですか?」

……と、よっぽど聞きたい私でした。(^^;

ほんとなら、精神分析療法で名のあるベテラン先生ですもの、
いろいろ根っこ掘り葉っぱ掘り、インタビューしてみたかったのですが、
ただでさえ、じれったそうにしている?ところにそんなことを聞いたら、
叱られそうな感じだったので、好奇心の虫は押さえて我慢、我慢。(^^;)

「ちょっと考えてみます」ということで保留としました。
帰り際、先生がふと思い出したようにこんな言葉を投げてきました。

心理療法(精神分析)を受けたその後の意外な展開

  「あなたの『プライベート・アイズ』っていう通信教育でしたか?!、頑張って下さいね」
思いがけず励まされ、お礼を言って部屋を出ました。

しかし受付で、治療費を支払い、エレベーターで1階に着いて降り、
そこで緊張から解放された私は、不覚にも、フラフラ〜ッと、
人気(ひとけ)のない通路で足がふらついて転びそうになりました。(笑) 

真夏の朝の、自分と他人の肋骨と肋骨がグリグリ当たるぐらいの超満員電車に、
10分以上揺られて運ばれて、駅で人ごみの一部になって吐き出されたときと同じぐらい、
肉体的・精神的に疲労している自分に気づいたのでした。

こちらの気持ちを突っぱねられてまるで、冷たくピンセットとルーペで
「観察」されたような感触に、気持ちも、ズタボロ状態になっていました。

気持ちは落胆から怒りに変わってきました。

「なんなのよっ! これで精神分析なの? 治療なのぉ〜?!
 あれが日本で指折りの精神分析の先生だッちゅーのぉっ?!」

精神的に追いつめられたようになって外に出ました。
患者を泣かせたまま帰したり、気持ちを凹ませたり、精神分析なんて、
もうこりごりだと思いました。

ふん!(`ε´) 精神分析なんか治療でもなんでもないわぃ(-_-メ)!
あの先生の「治療」のどこが、フロイトとか、
『血と言葉』に描かれている精神分析医の先生とつながるのさ!

私はこの精神分析のための予備面接(インテーク)を、
馬鹿馬鹿しく嫌な体験として片づけたのでした。
少なくともその当日が終わるまでは。

    ・・・・・・・・

でも、その後、予想もしていなかった現象が起きたのです。
 

精神分析治療の本質、しんどさと、効果を実感

落胆していた気持ちが、時間が経ってみると、きれいに消えていたのです!

それだけでなく、面接のときに先生と接した心のなかの一部分が
『雨降って地固まる』のように、強くなったような感じがあるのです!

人は、ちょっとしたことでも、傷ついたりすることがありますが、
精神分析で強くなったこの部分だけは、もう大丈夫!揺るがない!
という感覚が、たしかに芽生えているのです。

それは、日常生活や、メンタルトレーニングや、武道の修練などでは
こうはならない、精神分析治療でなければ届かなかっただろう、
パーソナリティーの奥底・芯の部分のひとつが強化されたという実感でした。

診察室での先生の冷淡な態度は、まさに、
ひとつの正統派の精神分析のセオリー(定石)にそったものだったのです。
もしも先生が精神分析について、私に何かを保証してくれていたなら、
――「人間的に成長できますよ」「精神が安定しますよ」などと――、
もしそうだったら、この効果は半減していたでしょう。

突き放されて、平均台の上でグラグラしているような不安定な気持ちを味わったからこそ、
このささやかな「確かさ」を、「生きている」実感をありがたく噛みしめることができたのです。

  へー、驚いた。( °O °)

  精神分析はこうして、心の強さを育むのかな?
  心を強くしていくことで、だんだんと見えてくる自分のなかの敵や、
  トラウマと対決するのを助けるってわけなのかな?

『血と言葉――被精神分析者の手記』にこれとよく似たものがあります。

ヒロインが45分の面接時間は終了だと、話の途中で打ち切られ、
抗議しても拒絶され、怒りに興奮しながら帰る場面です。

診察室を出てからの心の動きに注目して下さい。

パリでのフロイト派の精神分析治療

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「このままでは帰れません。話の途中だったんですよ。まだなにもいってませんし」
「さようなら。では、今度の水曜日にお会いしましょう」
 医者は表情を固くし、目つきもけわしくなる。澄んだ瞳は「いいはっても無駄です」といわんばかりに、こちらを睨んでいる。私はひとり不安に胸が締めつけられ、《あれ》にとりつかれ、表に出る。
「なんて悪い医者だ、私を自殺や殺人に追いこもうとしている」と思いこむ。
「自殺しよう。あの医者を、誰かを殺そう。……(略)……」と激しい怨念に燃えながら、壁伝いに重い足を引きずってゆく。
 ところが、しまいに涙をポロポロこぼしながら袋小路を出て、表通りにたどり着く頃には、気分が回復し、不安も解消しているのだ。
 精神は軽がるしく心の奥底の隠れ家の前に立ちはしないということを学んだのは、それからかなり後のことだった。意識が無意識の領域に入りこむには、それを望むだけでは十分でない。精神は機をうかがい、躊躇逡巡したあげく、いざ時期が到来すると、扉の前で猟犬のように釘づけになり、すくんでしまう。飼い主が自ら現われ、獲物をくわえさせなければならない。
 自分が悦に入って復活させた、装飾音のような昔話を取り除いてみると、私は

        以上参考文献『血と言葉――被精神分析者の手記』112ぺージより
         血と言葉―被精神分析者の手記 1983年オリジナル版
         血と言葉―被精神分析者の手記 1993年新装版


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――後半、文字がグレーになっている部分は、私が色を変えました。
引用したかったのは黒字の部分だけなのですが、そこだけ抜粋しても、本が手元にない方にとっては、
前後のつながりがわからないといまひとつ把握ができないものなので。――

本を読んでいただけのときには、このくだりのニュアンスがよくわかりませんでした。

精神分析家を信頼し、気持ちを打ち明けている途中で拒絶されるのがつらいのはわかる。
不安になったり興奮するのも憎しみもわかる。涙が出るのも理解できる。
しかし、その最悪な気分がそんなに短時間に簡単に消えて、不安も解消するものか?

こんなにも大きく気分の振幅があるのは、ヒロインがもつ個性のせいか、
あるいはフランスの社会や文化、ラテン気質の関係なのだろうかと、
訝しく(いぶかしく)思っていました。

今回、自分でフロイトの流れをくむ精神分析家の先生の面接で
かなり似た状態――気分の変動――を体験してみることでやっと理解できました。

これは古典的精神分析治療の特徴――冷淡さを保つのもテクニックのひとつで、
無意識への働きかけて、心をほんの一部、小さな部分とはいえ強くする――
その過程が、上にあげた文章『血と言葉』に描写されていたんですね。(^^)  

「やっぱりあの先生は、正統なフロイト派の精神分析の治療家だったんだ、
 フロイトの定めたルールをしっかり継承して守っている先生だったのだ」

と納得できたのでした。

精神分析療法には温かな血液が流れていない?!

伝統的なフロイトの精神分析のルールでは、治療者(精神分析家)は、
患者(クライアント)にたいして、同情や共感を表現しませんし、
親しげに振舞ったりもしません。

私が精神分析を勉強するとき、そういうつーん( ̄^ ̄)とした態度は、
医者のエリート意識?神経症(ノイローゼ)の患者への差別とか偏見?
と考えていたのですが、そうでもなかったようです。

神経科医だったフロイトのところにやってくるのは「ヒステリー」と
呼ばれていた、身体麻痺の症状をもつ、裕福な家庭の奥さんや娘さんが多く、
フロイトは、治療をはじめたころは患者さんを自宅での食事に招いたりするくらい、
友好的に接していたそうです。

しかし、フロイトはクライアントさんにたいして、紳士的に対等に扱って、
話をじーっと黙って聞いてくれるわけですから、
患者の女性が恋してしまい、面接は患者からの求愛の場となってしまい、
治療が進まなくなくなってしまったのです。

フロイトはこれには音を上げて、恋愛感情をもたれないようにと態度を変えました。
患者に親愛や友愛の情を示さないで、距離を置いて、ニコニコも優しくも親切にもしない。

ある程度まで突き放されると、患者は精神分析家に甘えられず、
自分で自分の問題に向き合うしかなくなるわけです。

ここまで書いていてふとあることを思ったのですが、
なぜ、女性患者が、フロイトを誘惑しようとしたというか、抱きついたり、
「好きです」と告白して、恋愛関係になろうとしたのか、これは、
おそらく患者のもっている性的なトラウマのせいだったのではないかと考えます。
 

児童性的虐待の犠牲者とヒステリー(神経症)とフロイトの精神分析治療

フロイトのもとにやってくる患者の多くが、子供時代、
親の性的な慰み物にされた(性的虐待の)トラウマ記憶があったのです。

フロイトはこの患者の話に驚き、新しい発見をしたと考え、
「ヒステリーは子供のときの心的外傷(トラウマ)のせいである」と発表しました。

この理論は、当時、
「(いつも正しい)大人が、子供にそんなことをするはずかない!」と、
激しく拒絶されてしまいました。

ある本に、「この学説は当時のウィーンで、石のような沈黙を持って迎えられた」とあります。

石のような沈黙、とは、人種差別などに見られる侮蔑や嫌悪を含んだ拒絶です。

激しい批難にさらされていったんは失意の淵に沈んだフロイトですが、今度は
別な――大人にとって都合のいい――説を発表しました。
いわく,「大人に誘惑されたという記憶は、判断力のない子供の記憶違いだ。
子供は大人に恋い焦がれていてセックスしたい欲求(性欲)をもっている。
しかも子供は判断力がないわけだから、自分が好きな大人に応えてもらえないで
ただ悶々として(こうだったらいいなあ)と空想したのを、現実と混同して記憶しているのだ。
それがヒステリーの原因だ」と『幼児性欲説』を唱えて、世間にも受け入れられた。
これが、今日残っている、伝統的なフロイトの精神分析理論の重要な概念のひとつです。 

スイスの精神分析家だったアリス・ミラー博士が、
精神分析に見切りをつけたのも、ここだと思います。

親からの性的虐待経験を、博士が精神分析の教育を受けた正統派では、
「そんなのは子供時代のファンタジー(空想・夢物語)だ、全部勘違いだ」
(なぜって子供は大人に憧れて性欲を感じるから)
(自分が空想したことなのに、実際にあったことと勘違いして記憶する) と、
かつての子供、つまり、患者のほうに全責任を押しつけてしまうのです。

アリス・ミラー博士は、この「幼児性欲説」という理論のために、
精神分析が虐待された患者をさらに痛めつけ、切り刻むおそれがあるのを、
精神分析の治療者としての長年の体験から知ったのでしょう。

    

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
 

性的虐待トラウマサバイバー(生き延びた人)の対人関係構築法

  
それで、話はちょっとそれましたが、(^^ 

フロイトに「私を愛して」と、ハートマークをたくさん飛ばした
ヒステリー(体が麻痺する神経症)の女性患者さんたちは、
そういうふう人間関係の保ち方しか、知らなかったと思うのです。

「私がお前にこういうことをするのは、お前を愛しているからだよ」と
囁きながら、父親に性的な行為をされた女の子は、深刻な障害を負います。

成長したあとも、その障害は残ります。

異性から認めてもらうためには、自分の体を提供しなくちゃ、とか、
優しくしてもらったら、そのお礼にセックスをしなければならないと感じる方が多い。

これは、現代のサイコセラピーの場でも、めずらしくないことです。
治療者の多くが男性で、クライアントの多くが女性ですし。

だから、フロイトの患者さんも、自分に関心をもってくれる人には、
その自分に向けられている関心をキープするためには、
体を自ら喜んでさし出し、捧げ、尽くさなければならない、
それらは自分が望んでいることだと表現しなければならない、
そう思い込んでしまったのでしょう。

こうした性的虐待被害者の心理の襞(ひだ)まで、男性であるフロイトが
推察することは、難しかったはずです。
 

 

現代に生きる精神分析治療

男性治療者と女性クライアントが感情的にもつれないようにという点では、
私がこのとき面会した精神分析の先生も、細心の留意をされている感触でした。

私自身は女性ですし、メールやテキストでしかセラピーをしていないので、
こうした問題が発生する心配はありません。

また、伝統的な精神分析の欠点をカバーした独自の理論で、
メールセラピーも工夫した方法をとっています。(^^) 

平井 瑛子

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