カウンセリングや精神療法(心理療法)をテーマにした小説(89号 2006・9・20)

      ☆推敲したらこんなに長くなってしまいました。2007・4・26

カウンセリングや精神療法(心理療法)は小説になりうるか

平井です。(^^)

読書の秋です。

文学は、人を勇気づけてくれ、感動させてくれる、人間の活動のなかでも、
とても高いレベルの創造活動だと思います。

格式張った「文学」も、肩が凝らずに読める「小説」も、
作家の虚構(ウソ)ですから、読んでいて気が楽ですね。

(とはいえ、私はノンフィクションものにしか興味がありませんが(^^)

小説では、虚構(ウソ)をいかに真実らしく語るか、
読み手にその世界を体験させるかが、作家の腕のみせどころです。

ところで、カウンセリングや精神療法(心理療法)の本質、
心の癒しや回復がどうやってなされていくか、患者やクライアント、
相談者の心の軌跡を、小説のような形で表現することは
可能でしょうか?

  ・・・じつは、これは不可能に近いです。

身体の回復なら簡単ですが、心が回復していく過程をつぶさに表現するのは、
これから述べるいくつかの事情のために、かなり難しいことなのです。  

精神分析・森瑤子さんの場合――『叫ぶ私』から

 
作家の森瑤子さんは、ご自分が受けた精神分析治療をテーマにした
『叫ぶ私』という小説を残していらっしゃいますが、
そこで何が明らかになったのか、セラピストとのやりとりがどんなものだったのか、
肝心な、病巣に関する部分はほとんど、フィクションに紛れて、
または最初からすっぽりと隠されています。

『叫ぶ私』については、恵泉女学園大学教授で精神分析家の、
福本修先生がこれをとりあげて、
クライン派から見たヒステリーの対象関係 森瑶子『叫ぶ私』を素材に(imago Vol.7-8 1996)
という論文を発表されていますので、参考にさせていただきながら、
この著者が受けた『精神分析』の小説がどこまで事実に忠実に再現されているのか、
考察してみましょう。

精神分析の治療者と技法、クライアントへの態度について

私もこの小説をちょっと斜め読みしたことがありますが、
福本先生が上の文献でもおっしゃっているように、
森瑤子さんが受けたこの『精神分析』は、本来の精神分析療法とは
だいぶ異なるものになっていたようです。
たとえばセラピストのほうで自分から外国人男性との離婚歴を語ったり、
セラピーに来るように電話をかけてきたりと、
治療者がクライアントにたいして守るべき基本的なルールを
たやすく逸脱しています。

精神療法(心理療法)を行ううえで、
治療者(セラピスト)がクライアントへにどう接するか、どうあるべきか、
その態度は、治療効果と密接な関係があります。

もし、この女性セラピストのやり方が、
クライアントと友達のような気さくな関係をつくり、悩み相談を聞く、
といったものであるなら、それも自由といえばそうなのですが、
であれば精神分析というタイトルはふさわしくなくなります。

また、クライアントのほうにも問題があります。
精神分析療法を受ける患者になりきれていないのです。

もともと森さんは自己を見つめなおすため、心の傷をなんとかするためではなく、
自分を表現する小説を書くため、その材料として精神分析を受けており、
面接の場においても、最初から最後まで、精神分析療法をコントロールして、
治療者にたいしても絶対に譲らず、自分がリードしようとしています。

一見、すべてを赤裸々に語っているようでありながら、
そのほんとどは現状にたいする不満を「叫ぶ」ことに終始し、
親子関係や子供時代については、ほんの少ししか触れられていません。

作家としての森瑤子さんは、小説というフィクションのなかで、
つねに、自らの内面を痛々しいほどまでに赤裸々に
あばき出し、さらけ出すのが持ち味で、ここでも感情そのものについては、
かなりのぺージをさいて長々と書かれてはいますが、ほとんど堂々巡りになっていて
回復に向かうための、より深い階層までは掘り下げる作業にはいたっておりません。

  

カウンセリング、東ちづるさんの場合

 

有名な人が、ご自分の精神的な治療体験を書いたものとしては、他に、
東ちづるさんの
“私”はなぜカウンセリングを受けたのか―「いい人、やめた!」母と娘の挑戦
があります。

これは、東ちづるさんが、自らのカウンセリング体験を書いた本です。
でも、ここでも、一番の核心部分には触れられていません。 

カウンセリングや精神(心理)療法が文学として成立しにくい理由

その理由は、心の回復のしかたは、とても複雑で、なかなかうまく
文章で表現することが難しい。これが、大きな理由のひとつです。

もうひとつの理由は、心の治療の(現時点では)特別な事情のためです。

心を治療していく過程というものは、カウンセリングもそうですし、精神分析はとくに、
治療を受ける人にとって、隠しておきたいことがらまで、
さらけだす必要に迫られることが少なくありません。

「このセラピスト(あるいはカウンセラー)は信頼できる」
「私の秘密は守られる」そう思えるからこそ、洗いざらい胸の内を打ち明けて、
それを受け止めてもらう、その繰り返しで心の傷は癒えていくのです。
   (実際はもっと複雑で精妙なのですが、
いろんな方がご覧になっている無料メルマガですし、
技法までくわしくここでは書けないので、
かなり大ざっぱに言ってしまいますが(;^_^A)

どんなにタフな人であっても、自分の心が傷ついて疲れていた原因や詳細な事情を、
どこかの見も知らぬ赤の他人の目に触れる形でそれを発表するとなると、
耐えがたい苦痛です。

誰だって、カウンセラーやセラピストに打ち明けたプライバシーは、
死ぬまでずっと、他の人には隠しておきたいもの。

他者の行為によって目には見えない傷がつくのも、見えない血が流れるのも、
そして、ふさわしい手当てを受けて癒えていくのも、
心のなかの、もっとも奥深い場所にある、誰にも触れられたくない、
子供時代のそのままのような、柔らかいむき出しの無防備な部分です。

それゆえ、本という不特定多数の目に触れる媒体で、
精神分析にしろ、カウンセリングにしろ、
心が癒えていった過程を、つぶさに表現して見せるというのは、
自分のプライバシー、かけがえのない一番重要な秘蔵の部分を、
赤の他人に全部広げて見せることと同じ。

ある意味では、肉体的に裸になるよりも苦痛と羞恥は大きいかもしれません。

もしいったん公開してしまったら、二度と回収はできませんもの。

たった一冊の本の出版のために、
耐えがたい苦痛と恥を耐え、犠牲を払い、リスクを負う人はまずいません。

自分の不幸を赤の他人から興味本位に覗かれたり、笑われたり、面白がられて
喜ぶ人、嬉しい人、痛みを感じない人なんていません。

だから、森瑤子さんの叫ぶ私も、東ちづるさんの
“私”はなぜカウンセリングを受けたのか―「いい人、やめた!」母と娘の挑戦も、
著者(をモデルにした主人公)は、なぜ心が病み、そしてどのようにして癒えていったのか、
くわしい核心部分はほとんど書かれていないのです。

精神療法(心理療法)の最中のやりとりを克明に、客観的に、中立的に、
わかりやすく書くのは、おそらく不可能でしょう。

『血と言葉――被精神分析者の手記』に表現された精神分析療法

フランスの作家、マリ・カリディナルが発表した『血と言葉――被精神分析者の手記』は、
その不可能を一部可能にして、
フロイト派の流れをくむ精神分析とはどんなものなのか、
実際に受けた立場から再現した、とても貴重な文献です。

これを発表したマリ・カルディナルは、ほんとうに勇気のある女性です。

この小説(的ドキュメント)の最初のほうにあるように、
精神分析の物語を真摯に、あからさまに語るというのは、
自分で自分に拷問を加えるのに等しいとてもタフなことです。

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 自分の病気を語ろうと決意した今、過去の出来事の記憶から出来事の記憶から生じた無残 なイメージや、痛烈な感覚を説明するという、拷問にも似た特権を自分に課した今、私はカメラの脇に立つ監督のような気分である。巨大なクレーンの先に設置されたカメラは下降して、ある顔の造作をクローズアップで撮影することも、セットの上空に上昇して、ある場面の全景を撮影することも可能である。
(下線はby平井)
                『血と言葉――被精神分析者の手記』17ぺージ
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著者のマリ・カリディナルは文学賞を受賞した作家ですから、
卓越した小説の構成や表現力は別としますが、
通常の人は、(実際に出版されるさいは、
編集者が代筆することもめずらしくないようですが)、
自分の精神分析の体験を、客観的な視点から克明に綴る(あるいは語る)という
困難で苦痛を伴う作業を、たった一冊の本のために、
最後までやり通すことは、まずできません。

その意味でも、『血と言葉――被精神分析者の手記』は希有な書物です。

  
『血と言葉』は、著者のマリ・カルディナルが、
長く患っていて絶望的だった神経症(不安障害・ノイローゼ)を
精神分析治療を七年受け続けて、
完治にいたった過程を克明に再現した文学作品です。

伝統的な精神分析治療は、複雑で、経済的にも精神的にも、
患者(クライアント)に大きな負担がかかりますが、
このまるで苦行のような治療を受け続け、完治してから精神分析の様子を
再現してみせてくれたのは、マリ・カリディナルの作家としての才能と、
すべてを白日のもとにさらけだす、強い勇気と決意があったからこそなのです。    

西洋人(フランス人女性)と日本人の精神構造の共通点

 
『血と言葉――被精神分析者の手記』は、治療を受ける側からの視点で
再現されたものです。

私はこの『血と言葉』を初めて手にとったとき、内容にビックリしました。
そこに書いてある、激しい不安の発作や離人症、
強迫観念や、幻覚まで、自分が悩んでいた症状と酷似していたため、
「自分は神経症という病気だったのだ」と知って目からうろこが落ちました。

「精神分析という治療を受ければ治るのだ」と思うと、
かすかな希望で、目の前が少しだけ明るくなったような気がしました。

でも精神分析治療を受けるのは現実的には無理で、
自分でなんとかするしかありませんでした。

神経症(不安障害・ノイローゼ)という顔すらわからない強大な敵に、
やむにやまれず、心理学の知識を集め、努力と情熱によって対抗しようと、
(少しでも発狂か自殺を遅らせたくて)背水の陣で、
精神分析の独学にとりかかったのです。


神経症(不安障害・ノイローゼ)になる人のタイプ

  
このぺージを読んでくださっている方のなかで、
心が健康な方にとっては、神経症(不安障害・ノイローゼ)の苦しみは
想像もつかないでしょう。

なんでそんなわけのわからない不安に駆られて勝手にひとりで悩むのか、
好意的にみても、せいぜい、特別に神経が細やかな人?とか、
変な人?とか、電波にやられた危険な人、異常な精神状態、等々
いろんな偏見や無知や誤解をもっている方もおられることでしょう。(;^_^A

でも、神経症(不安障害・ノイローゼ)は、
精神が正常な人じゃないとかかりません。逆説的ですが……。

たとえば、健康な人でも風邪を引きますよね?
抵抗力が弱っていると肺炎にもなりますよね。
心に長期に無理なストレスがかかると、精神もバテてSOS信号を出します。
神経症(不安障害・ノイローゼ)は、そういう性質のものであり、
一時的な(あるいは長期に渡る)状態のことなのです。


私の精神分析体験

 
精神分析の情報は、この治療に携わる医師のなかでだけ共有され、
外部にたいしては門戸をかたく閉ざしており、
一会社員の私が勉強する手段はほとんどありませんでした。

私は精神分析を書籍のみで独学しながら、ない頭を振り絞って
日本人にふさわしいアプローチ法をひねりだし、工夫し、
試行錯誤で自分に当てはめながら孤軍奮闘するしかなかったのです。

努力の結果、自己治療はうまく行き過ぎるほどうまく行き、
不安神経症(不安障害・ノイローゼ)は開始から数ヶ月で完治しました。

私が不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を克服したスキルを
誰でも危険なく、やさしく実践できるように
まとめたのが、『プライベート・アイズ』 です。


効果がある?カウンセリング小説とは

さて、以前75号で紹介した、
児童虐待がテーマの『土の中の子供』について、
「心の傷をもつ人の痛みが、この小説には何も描かれていない」という、
村上龍氏のコメントとともにご紹介しましたが、
カウンセリングや精神療法(心理療法)を小説にするというのは、
かくも難しいことなのです。

そんなふうに考えていたところ、新聞のコラムで、ある小説が、
「すぐれたカウンセリング小説」と評価されていました。

新聞のコラムで有名な文化人が評価しているのですから、
人の意見をすぐに信じてその気になる私は、
その見出しに食いついてしまいました。(爆)

もしそんなことを可能にした小説なら、
人類への貢献度としては、ノーベル平和賞ぐらい、
素晴しいこと。フロイト以来の偉業になってしまうと思います。

なぜって、カウンセリングを小説にする難しさを何かにたとえるならば、
なんのへんてつもない紙媒体の書籍でありながら、
同時にそのぺージの上に芸術的な庭を出現させたのと同じで、
トリックだけではとうていできない、ひとつの奇蹟。

でも、「もしそれが可能になったのなら、これはたいへん素晴しい! 
技術革新というか、これはもう発明に等しい! 
いよいよトラウマ小説?もここまできたのか?!」

私はかなり期待して、チェックしてみたわけです。
(新聞記事のほうだけですが(^^ゞ)
 

心の傷とカウンセリングをモチーフにした『品川猿』

この新聞記事は、文芸評論家の加藤典洋さんが、
『現代の視座 仲がよいと仲がよすぎるは違う』と題して、
村上春樹氏の『品川猿』という作品について述べたもの。
河北新報7月7日13面に掲載されました。

このコラムによれば、『品川猿』のストーリーはこうです。

人の名前を盗む不思議な猿がいる。
名前を盗まれた人は自分の名前を思い出せなくなる。

捕まえられた猿は、「自分は名前を盗む代わりに、
その人の暗い過去も引き受けている」と自己弁護する。

名前を盗まれた女性が、「私の過去にあった悪いできごととは?」と
質問します。
猿が渋ると、「かまわないから、言ってみて」と、
催促する。

猿は、彼女のこれまでの話をする。
彼女は家族から愛されず、疎まれて、遠い全寮制の学校に厄介払いされた。

にもかかわらず、心の傷が深いために、
そのことを自分で認められない。
それが、心の闇になっていると告げる。

人前で猿から真実を告げられた彼女は深く傷つく。
その場にいた男性は憤り、猿を罰しようとする。
しかし、彼女は猿をかばってこう言う。「本当にその通りで、私にもわかっていました。
このまま山に放してあげてください」

『品川猿』は『東京奇譚集』に収められています

加藤さんは、この小説を高く評価しています。

「普通なら暗く深刻な色調に彩られるはずの話が、
そこに一匹の「お猿さん」が投げ込まれることで、明るい、
おかしみのある話に変わっている。
(中略)
短編小説としてすぐれているほか、カウンセリングの本質を
これほど的確に取り出した作品も少ないのではないか、
というのがわたしの感想である」と。


この作品について、私の意見は逆です。 

トラウマについてもカウンセリングについても、
実態とはかけ離れた、なんと実のない、映像的な視覚効果だけを
狙って構成された物語だろう、ということです。 

私からみて、この『品川猿』のどこが奇妙なのかというと、
―― 作家がこの、暗さと、人間の言葉をしゃべり、
人間の名前と過去の記憶(あるいはつらさ?)を盗む猿、という
ミステリアスな設定によって狙っている、
不思議な雰囲気は別として――、


この小説のなかの女性の心理描写は、矛盾が多すぎるのです。

ひとりの人間としては、成り立ちません。

まるで多重人格(乖離性人格障害)なみ。ですが、しかし、
多重人格(解離性人格障害)になるほどのトラウマはこの女性はもっていないし、
小説のなかでも、多重人格者(解離性人格障害)としては描かれていない。


女性から見て、自分の名前を盗んだ「猿」は、
自分の暗い秘密まで握っている。

心に闇ができるほど悩んでいることを、
人前でバラされるかもしれないと薄々気づいているのに、
まるで誰か他の人の秘密を知りたいような軽い「ノリ」で、
「私の秘密をいいからこの場で言ってみそ?」みたいに
他人の目の前で暴露するよう、あっけらかんと興味本位で?催促することが
そもそもありえないじゃないですか?(^^;

人前でバラされてなんでもない問題なら、
そもそも誰が深刻に悩むもんですか。。。(;^_^A

そうやって、自分から自分の秘密を「暴露したっていいわよぉ〜」
みたいに猿にしゃべらせて、自分の悩みの、人に知られたくない暗い過去の傷を
他の人の前で『披露』させておいて、今度は深ーく傷ついて落ち込むっていうんですから・・・。

しかし、なぜか、次の瞬間には、心が癒されたというか、
整理されたらしく、人格がコロッと入れかわったのか?、
すっかりきっぱり自分を取り戻して?、
冷静に落ち着き、猿をかばう。


  こうなるともう、心理状況ハチャメチャでしょー。(^^; 

この奇妙なストーリーに、小説家のスキーマ(前提)を
感じるのは私だけでしょうか?

いわく、「心の傷を抱えている人は、それを誰かから指摘されたら、
忠告を素直に受け入れて、その場で直せば、心の闇もきれいに
なくなって元気になる」みたいな、無理な決めつけを。


心の病気についてのよくある世間一般の誤解

でも、心の闇を抱えた人間に必要なのは、共感や支持であって、
「お前は現実を認められないからこうなっている」みたいな
決めつけやお説教ではないのです。

鬱病の人に向かって、「しっかりしろ! 頑張れ! 
いつまでもウツウツしているようじゃ、ダメだぞ!
元気を出さないと治らないぞ!」というようなもの。

なぜ「ガンバレ!」がよくないのかというと、
うつ病は元気を出そうとしても出ない病気だからです。

でも実際には、
不安神経症(不安障害・ノイローゼ)などの人に向かって、
「神経過敏だから神経症になる」とか、
「気のせいだから、気にしないように」というようなことを、
お医者様でさえおっしゃられるとか……。(;^_^A 

わかってないですねー。
鬱病や神経症は、気の持ちようで解決できる問題ではないのです。 


こうしてみると、
心の傷や、病について、世間一般に理解されてきたようでいて、
ホントのところは、あんまり変わってないみたいですね。(^^;

・・というわけで、とても残念な事に、『品川猿』も、『ハッピーバースデー』や、
『土の中の子供』と同じ種類のものでした。 

両親やきょうだいに悩まされたことがない書き手が、
虐待やトラウマ、心の闇や、家族の愛情の欠如という、
今どきちょっと目新しいテーマを使って、
ひとつの空物語をこしらえてみた、という感じですね。

このてのトラウマ小説を読んで、
「感動した!」「感激した!」という声が多いとしても、
ほんとうに困っている人の助けにはなんらなっていないのです。

なぜって、書き手も読み手も、実際に、自分たちの家族から
深刻な虐待や搾取をされた体験がない。(と断定できます。)

だからこそ、頭の中だけでこしらえた物語を平気で書けるわけですし、
読者のほうでも、文中で作者が表現している、
心の傷を抱えて苦しんでいる人にたいしてもっている勝手な想像と決めつけを
――まじめに取材ぐらいしてほしいものですが・・・――
本になった有名な作家の小説という共有・確認できるから、
(そうだそうだ!その通りだ!さっさと吐いて元気になってしまえ!)というような、
乱暴な論理に賛同・感動する。 そういう安易なパターンになっているのだと思います。

上梓される多くの小説のネタとして利用されている「心の闇(痛み・苦しみ)」。
当事者でない人間が、第三者の目を引く悲劇的アクセントに利用する。
それらしいことを並べてみて、適当なところで、(心理学的な検証にはおかまいなく)
インスタントにハッピーエンド。

書き手も、読み手も、それで満足している。

他人の、人間の、心の悩みの深さや闇について、傷(トラウマ)について、
どうしたら心は回復するのか、そこのところの本当の事情を、
小説の書き手も読み手も、本気で知りたいわけではないのかな、と思います。

ほんらい、心の傷や親子関係の溝は、ドロドロと生々しく、ときに苦々しいものです。

親との葛藤を聞かされた人なら、面倒なので関わりを避けるか、
信じたくなくて否定や拒絶したくなったり、同情心の厚い人ならば、
重苦しく、やりきれない思いにさせられるのが人情ではないでしょうか?

もちろんこれは、精神療法(心理療法)の訓練(トレーニング)を受けていない、
普通の一般人に限定した話です。
精神療法(心理療法)の専門家であるならば、
クライアントにたいして、ふさわしい対処法・治療法をもっているはずです。(^^) 
     

一錠のんでスッキリ心の問題全部解決!という魔法は起こらない

第一、カウンセリングや精神療法(心理療法)の現場はもっと複雑です。

さきほどの『品川猿』のように、その日会った人に予言者のように、
自分のことをズバリ言い当てられて、とたんにスッキリ! というのは、
ありえません。

村上龍氏が小説『土の中の子供』について批評したように、(75号参照)、
現実のカウンセリングや精神療法(心理療法)について、
その過程を、小説という娯楽(エンターテイメント)にして、
知らない人に理解させるには、ものすごく高い技量が要求されます。

この難攻不落で、労多くして実りの少ない課題に取り組む作家は、
これからも出ないのではないかと考えています。

なぜなら、作家は小説をつくる人であって、心の治療については、
精通していないからです。


精神療法(心理療法)で一番大切なのは現在と未来

不安神経症(不安障害・ノイローゼ)や鬱(うつ)病から解放されて、
元気になるための心理学と心理療法講座、『プライベート・アイズ』セミナー。

6回目まで実践してみたHYさんからの感想を読んで、
あらためて、『プライベート・アイズ』がどんなものか、
私自身確認できたことがあります。(^^)  

この方は、最初、精神分析なんて自分にも効果があるのか?という疑問と、
精神療法(心理療法)への強い恐怖心をもっていらしたのですが、
現在のところ、6回目まで読んでみて、とても驚かれていました。

『プライベート・アイズ』テキストに描かれている子供(平井)と
よく似た経験をなさっていたからです。

しかし、それは、『品川猿』のように、遠くの全寮制の学校にやられたとか、
はっきりそれとわかる特別なことではありません。

多くの方は、一見普通に育つ家庭のなかで、
心に傷を負っているものなのです。

かといって、普通の家庭に育って、現在、さしたる問題がない人まで、
心に傷があるわけではないので、どうかご心配なさらずに。

HYさんは、子供(平井)の気持ちを綿密に描写・再現した部分を読んで、
そういえば、昔のご自分も似たようなことを感じていたことに気づき、
ハッとしたそうです。

その記憶は、今までもときどき思い返すこともあったそうですが、
『プライベート・アイズ』を読んで初めて、その体験のもっている意味を、
つまり、人生にどのような影響を及ぼしていたのかを、
自然な形で自覚することができたんですね・・。

もちろん、『プライベート・アイズ』はただ単に、
心の傷に気づかせるだけではありません。

どのようにしたらトラウマをうまく処理できるか、
無理がなく、しかも強力な方法をいくつもお教えしています。

精神療法(心理療法)でもっとも大事なポイントはここなのです。

過去の体験について、どうとらえたらよいのか、どう考えればよいのか。
そして、気づいた事を今後へどう生かせばよいのか、ここを理解していただくからこそ、
心の傷が回復する道のりの第一歩になり、安全で明るい光の下で、
ゆっくりと自信がわいてくる気持ちになれるのです。

アリス・ミラー博士が子供時代に焦点をあてるように、
私も、心の不安は、子供時代に端を発していることが多いと感じています。

心の傷というものは、自分ではそうとわからない場合もあります。

HYさんのように、今でもときどき思い出していた、一見なんでもない、
ありふれていることのように感じていた記憶を検証するところから、
『プライベート・アイズ』の精神分析ははじまります。

必死にやろうと力まなくても、本格的な精神療法(心理療法)が
テキストを読みながら、その場で、ほんの少し、意識をそこに
もっていくだけで、セラピーが自然にできてしまうのが、
『プライベート・アイズ』の特長です。 

心の不安を抱えている人は、たくさん、たくさん、遠い昔に、
うまく処理できない気持ちを置いてきてしまっているのです。

でも、過去に置いてきているようで、じつはその置いてきた過去の場所に、
気持ちのどこかが引っぱられていたり、つながれています。

感情面としては、昔の未処理の気持ちが、現在の心に深く影響していて、
不安や怒り、恐怖、焦燥感などとして、声なき声として
表現されていることがとても多い。

人によっては、「私は知性も理性も判断力もある大人だし、
自分のことは何でもわかっている、昔のこともだいたい覚えている」
と、根拠のない自信をもっているかもしれません。

でも、もしあなたがつねに何か漠然とした不安感を抱えていたり、
理由がはっきりしない焦燥感や罪悪感があるとしたら、
一度は自分の心の奥底を『プライベート・アイズ』セミナー
チェックすることをおすすめします。

もしかりに、自分のことはなんでも知っていて把握できているのであれば、
セルフコントロールも容易なはずなのです。

そうでないということは、おそらく、わかっている――(と思っている)――のは、
心のなかのごく一部だけであって、じつはもっと広くて深い、
自分で気づかない心の領域に、その不安感や焦燥感や罪悪感や、
自己嫌悪の根っこが隠れている可能性は大きい。

『プライベート・アイズ』は、この闇の領域に向かって、
――(私ではなく)――、ご自分で洞察の光を当てることができます。

それが何なのかがわかれば、怖くなくなるのです。
そうして、もう古くていらなくなったものや、人生の障害になっているものを
適切に処理をしていく。

『プライベート・アイズ』はそのための、総合的な講座です。

プラアイテキストを読むと、新しく自由な視点から、
過去を振り返り、心の飢えや渇きを癒していくことができるのです。

とはいっても、HYさんの場合はまだ6回目ですから、
自己分析はまだ基本を知ったばかりです。 

自動車学校にたとえるなら、走る・止まるを覚えたところです。

これから、覚えることはたくさんありますよ。

クランク・幅寄せ・切り返し・坂道発進・縦列駐車・
高速道路走行・悪天候下の運転・点検整備・危険予知や回避など、
自由自在にクルマ(心)を駆って、ドライブ(探検と
セルフコントロール)をするために必要な、知識と技術があります。

まだ体験したことがないので実感がわかないと思いますが、
6回に書いてあることはまだ序の口です。 

7回〜12回まで、さらにさらに、濃い内容になっています。
自己分析をもっと進め、深めるための技術、
親との関係を改善する方法、自己催眠を対人関係に応用する方法など、
いろいろとわかります。 

HYさん、ぜひ最終回まで忠実に実行されて、この機会に、
疲れた心の手当てをきちんとして、人生を楽しめるようになって下さいね。(^^)
では今日はこれにて失礼します。
(^-^)ノ~~ 

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