潜在意識は病気を治すか?潜在意識について、興味深いメールをいただきました。 以前私が批判メールを送った、潜在意識関連の超人気メールマガジンと、 ---------------------------------------------------------------------- はじめまして。 2003/9/27, 10/4付けのメルマガで話題になったメルマガを私も購読しています。 以前よりジョセフ・マーフィー博士の本は何冊か読んでいて、その法則には納得していました。 マーフィー博士の理論を1部分だけ拾い上げて、批判しているんじゃないかなーと アファメーションとかイメトレすることが良くないことなのかと考えてしまいます。 そのメルマガの中で潜在意識で病気は治らないと書かれていましたが、 なんか、今まで自分が信じてきたことをほとんど否定されているようで不安です。 いろいろあって、うつうつしてしまったりしますが、 それではこれからも平井さんのメルマガ、楽しみにしています! ---------------------------------------------------------------------- 平井です。 「地獄に落ちる」うんぬんについてですが、 >潜在意識で病気は治らないと書かれていましたが、どう思われますか? たしか、そんなことも書いてありましたね。 私は、潜在意識に治ったイメージを刻印することができれば可能だと思っています。 クリックアンケートで、皆さんの意見も聞いてみたいと思います。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【質問】 潜在意識を使えば(祈ったり、唱えたりすれば)、病気を治したり、 皆さま、おひとつご自分の意見に一番近いものを選んで、ポチッと ◆どっちなのか、わかりません。 ☆締切:2003年11月07日18時00分 ★協力:メールマガジンをおもしろくする《クリックアンケート》 結果は次回以降発表します。では次のコーナーへ。 精神分析って、どういうもの?このメールマガジンの読者の方も、精神分析について、だんだん興味をもって いただけているようですね〜? (^・^) 精神分析は、深く深く自分のなかにはいっていくわけで、そこは潜在意識の領域なんですが、精神分析って、日本では一般的ではないですよね。 発祥が西洋だから、日本とは文化的土壌や医療制度が違ってて根付きにくかったのもあるし、第一、精神分析って、なかなか秘密主義のところがありますから。 精神分析は個人の人生や生活などプライバシーに関わるものですから、オープンにしにくい部分がかなりあるわけで、無理もないのですが。
精神分析について語ろうとすると、いくらでも長くなりそうなので、 潜在意識(無意識・深層心理)にアクセスする私は、精神分析を進める過程で、何度も自分の無意識とのコンタクトをしたんですね。 「私の神経症(不安障害・ノイローゼ)は、精神分析でないと治らない。なんとしても精神分析とやらをやってみたい。効果的な精神分析をするためにはどうしたらいいのか」とあれこれ模索していた初期の頃。 あるとき、急に目の前(正確には額の前)に、それまで長いこと忘れていた昔の光景が、まるでスクリーンのように鮮やかな映像として浮かんだ瞬間がありました。 自分で味わっているこの感覚にたいして、現実なのに半信半疑でした。私はなぜ、今この部分(眉間)で過去の情景をありありと映画のようにハッキリと見ているのか? これが、七田眞(しちたまこと)先生が著書のなかで、「右脳が開けた」という表現でおっしゃっているのと、まったく同じ状況でした。 右脳開発実践トレーニング 七田真 長い間ずっと、あれはいったい何だったんだろうと不思議でしたが、この本と出会って、「ああ、あれはこのことだったんだ!」と納得できました。 (※2006年9月現在の注釈:超能力はたしかにあり、潜在意識とつながっているものだと思います。私の額の前にイメージがスクリーンのように鮮やかに飛び出た現象もそのひとつなのですが、はたして、超能力が(左脳ではなく)右脳に限定された働きかどうかについては、私個人は疑問です。) この体験をきっかけに、潜在意識と接触できるようになった私は、しだいに深い自己催眠状態に入るようになり、子供時代や、新生児の頃の記憶を、今あるこの現実と同じ鮮やかさで体験したり、あるときは、過去世のような異国の情景を思いだしたりしました。 人一人の潜在意識には、膨大な情報が蓄積されているのを実感したわけですが、またこれも、書くと長くなりそうです。(^^;。 精神病患者への偏見と差別について今夜言いたいのは、心を病んでいる人でも、もっと自主的に、病気にたいして、能動的になれるはず、ということです。何人かの精神科のお医者様が口をそろえるのが、「健康人よりも、精神病患者のほうが、人間というものについて多くのことが学べるし、理解できる」というセリフです。 2006年9月改訂にあたっての追記: この言葉の意味は、「精神病の患者さんは、科学者にとって、精神病や人間心理の研究材料として最適だ」というものですから、それはちょっと失礼では?と感じられませんか? 精神医学の研究者は、患者さんの精神病を治すための研究ではなく、どちらかというと、精神の病気になった人を排斥しながら観察しているような感じです。 研究者で正常な自分にたいして、精神科の患者は異常で劣った存在として、ハッキリ線を引き、「特異な精神病」になった患者を、研究者の特権として?精神がどう荒廃していくのかを観察していくような、同情のかけらもない姿勢。そこには、その患者もひとりの人間であり、その人の力になろうという気持ちが見られない。そのうえ家族からも見放されていたとしたら、無力な存在の精神科の患者さんは可哀相だったと思います。 さすがに今はこのようなことを平気で言うお医者様は少ないでしょうが、ついこないだまでは――10年くらい前まででしょうか?――「精神病患者も一人の人間で、人権がある」ということがなかなか認められない時代でした。今でもまだその名残はあると思われます。そのために、精神科に行く必要があるのに、行けない方もいるようです。 私が精神分析や心理学の勉強をしたとき、当時あたった、たくさんの文献に登場する(させられる)人たちは、みなまるで、実験用のモルモットのような「人間であって人間でない」ような、差別的な扱われ方でした。これらの専門書の行間にある、精神科の患者にたいしての強い差別と偏見は、神経症(不安障害・ノイローゼ)になっている自分にも当然同じく向けられたものなのだろうと考え、たしかに辛かったことは辛かったです。。。 私はそれらの心理学の研究書や専門書を書いた精神科医や研究者が、研究対象である精神病患者にたいして見せる、軽蔑的な視線や、尊大な態度をそのつど振り払い、否定しながら、精神分析や心理学の勉学を進めていったわけです。(古今東西の心理学の専門書を丹念に探していけば、答えはきっと見つけることができるはずだ、少なくとも何かの参考やたしにはなるはずだ)と、自分に言い聞かせ、かたく信じ、念じながら、辛抱強く孤独な研究を続けました。 そんななかで、「神経症(不安障害・ノイローゼ)になるなんて壊れている人間、人間じゃない人間。まともに扱う必要はさらさらない」そういう風潮のなかで、精神病患者に向かっても軽蔑の目を向けない、温かい慈愛に満ちたまなざしをしていらっしゃる、カール・A・メニンジャー(メニンガー)博士の近影を、『おのれに背くもの』で見つけたときの気持ちといったら、まるで、夕暮れの道をとぼとぼとあてどなく歩いている(正常な精神の寿命が尽きそうで不安におののいている)私への、救いの神のような気がしました。 カール・A・メニンジャー(メニンガー)博士についてはまた別の機会にお話しします。 では、今夜はここまでで終わります。 お休みなさい。ステキな夢を。♪(o^-')b |